VRで、人が本来持つ“治す力”を高めていく。

——松村さんのこれまでの経歴を教えてください。

私の社会人としてのスタートは、リクルートでの営業でした。今でこそ医療分野の状況もかなり変わってきていますが、当時から“上から目線”で診療を行う医師が多いことに疑問を感じていて、医師ではない立場から医療の世界を変えたいと思うようになり、リクルートを退社してアメリカのオハイオ州にあるケース・ウェスタン・リザーブ大学大学院(ビジネス・スクール)に入学し医療経営学を学ぶようになりました。経営の面から医療にアプローチできればという思いで入学したのですが、日本の医療分野で自分のやりたいことを実現するには、やはり医師としてのバックボーンが必要なのではと感じたのです。そこで、その後に岡山大学の医学部に学士編入し、医師免許を取得しました。医師になって、今年で11年目になります。現在も都内の病院で、週に一度は心療内科医として発達障害外来を担当しています。

 

——株式会社BiPSEEを設立するまでの経緯を教えてください。

もともと発達障害の方のキャリアをサポートしたいという思いがあったことから、2016年の6月には『GIFTED ACADEMY』という発達障害の方に向けたプログラミングスクールを運営するGIFTED AGENTの立ち上げに参画しました。そこで出会ったメンバーがVR事業をやっていて、さらに小児歯科への課題意識を持っていた歯科医師もいたことから、そういったメンバーと一緒に会社を立ち上げようということになり、『歯科VRプレパレーション』というツールを開発するBiPSEEを設立しました。BiPSEEでは、『GIFTED ACADEMY』を卒業した方もエンジニアとして活躍してくれていて、そういう意味では彼らの卒業後の進路を提供する場にもなっています。

 

——偶然の出会いがあったことも理由の一つではあると思うのですが、心療内科医の松村さんが、歯科医療とVRという他分野の事業を始めたのはなぜだったのでしょうか?

私が専門としている心療内科という分野は、よく精神科と混同されることが多い分野ですが、本来は心身医学に則って内科の医療をする医療です。心身医学という括りで見ると、実は歯科や整形外科、婦人科など全て一括りになっていて、“体の悪い部分だけを診るのではなく、患者さんの気持ちの部分から一緒に診ましょう”という考えが根底にあり、決してかけ離れた分野ではありません。実際に私が岡山大学病院で研修医をやっていた時も、心療内科医の外来と歯科医の連携はよくありました。また、VRに関していうと、GIFTED AGENTに参画する前は全くわからない分野だったのですが、参画して初めて体験してみたところ、これは人の心に働きかける際に使えるのではないかと、漠然と考え始めたこともきっかけの一つです。

 

——改めて、『歯科VRプレパレーション』がどんなツールなのかを教えてください。

『歯科VRプレパレーション』とは、アニメーション映像に集中することでお子さんを始めとした患者さんの歯科治療に対する不安を和らげることができ、姿勢誘導技術によって治療に最適な姿勢も保つことができるVRツールです。VRといっても、私たちが使う映像は立体映像ではなく平面の映像です。なぜかというと、このプロジェクトの対象がもともと歯科治療を受け始められる年齢である3歳以上のお子さんが対象だったからです。実は3歳くらいのお子さんが立体視をしてしまうと斜視になる可能性があり、6~7歳くらいになればその危険性は低くなるといわれていますが、私たちは安全を第一に平面的なアニメーション映像をお子さんに見せるようにしています。姿勢誘導技術とは、ピンポイントで映像を映すことで、ある姿勢になった時にだけ、全ての映像が映し出されるようにする技術のこと。この技術によって、お子さんは映像に集中するだけで一番楽なポジションで治療を受けることができ、歯科医師も一番やりやすいポジションで治療をすることができます。

 

——実際に『歯科VRプレパレーション』をお子さんが使用する場合には、どのような流れになるのでしょう?

治療台に上がる前にVRゴーグルをつけてもらい、オリジナルのガイダンス映像を見てもらいます。この映像を見ることで、お子さんは治療に対する心構えができ、治療をスムーズにスタートすることができます。治療台に上がったら、用意してある数種のアニメーション映像から好きなものを選んで映像をスタートさせ、治療も同時に始めていきます。治療中は、歯科医師やスタッフがスマートフォンやタブレットを使って、その時々のベストな体勢にお子さんが顔を向けてくれるように操作していきます。「口を大きく開けて」と言っても開けてくれないお子さんが多いとよく聞きますが、このツールを通じて「口を大きく開けて」といった音声を流したり、一緒にかわいらしいキャラクターを投影しながら指示を出したりすることで、お子さんは無理なく指示に従ってくれるようになります。そこで指示通り、きちんと口を開けてくれたら「よくできました」というメッセージを投影することも可能です。合計8か所の歯科医院でβテストを行っていますが、VRゴーグルを装着していればお子さんはおとなしくしてくれているという意見もあり、治療時間以外の待ち時間にも活用できると考えています。

 

——もともとは3歳以上のお子さんに向けて開発されたとのことですが、大人にも活用できるのでしょうか?

βテストを行ったところ、実は大人の患者さんにもニーズがあることがわかり、旅の映像番組などを投影して実際に使っていただきました。具体的にどういった方にニーズがあるかというと、歯医者さん独特の緊張感が嫌だと感じている方や、治療台に上がるとすることがなくて時間を持て余してしまうという方に好評をいただいているようです。実際に『歯科VRプレパレーション』を使った方からは、治療の痛みが和らいだという声や、治療の時間がいつもより短く感じられたという意見ももらっています。あとは特殊な例として、人生のある時から歯科治療が怖くなって受けられなくなってしまう歯科治療恐怖症の方にもニーズがあると考えています。障害者歯科という主に障害のある方へ向けた治療を行う診療科があるのですが、ある病院ではそこに通っている患者さんの3分の1は障害を持っていない歯科治療恐怖症の方です。なので、そういった方にも活用していただけるのではないかと思っています。

 

——映像に没入させるためには外部音を全てシャットダウンした方が良いように思えますが、そうしないのには理由があるのでしょうか?

『歯科VRプレパレーション』は、お子さんの現実逃避を後押ししようという考えで開発したツールではありません。BiPSEEの事業の根底にあるのは、“VRを使って、人が本来持つ治る力や癒える力を高めていきたい”という思いです。アンケートを行ったところ、お子さんは痛みよりも不安や怖さの方が我慢することができないという結果が出ています。なので『歯科VRプレパレーション』は、映像を提供することで不安や怖さを取り除き、できる限り楽な姿勢でお子さんが治療に臨めるようにしてあげて「最後まで頑張れた」というような、自己肯定感を上げるツールに仕上げています。今は私たちがピックアップした映像を提供していますが、今後は既存のDVDなどの映像を投影することができるプレイヤー機能として提供していこうと考えています。そうすることで、お子さんはもちろん全ての患者さんにより自由に、より多くの楽しみを提供できるツールになると思っています。

 

——『歯科VRプレパレーション』は今後、歯科医療以外の分野にも活用の場を広げていくのでしょうか?

はい。この技術は歯科医療の分野だけではなく、不安を抱えて気持ちが沈んでしまった人に向けて、元気になるようにサポートしてあげる活用の仕方もできると考えています。また本来、人は自分が持っている能力をさらに良くするという力も備えていますので、パフォーマンスを上げたいという方にも活用していただけるようになるかと思います。これらは、ひょっとすると私が心療内科医として普段行っている治療と対極にあるのかもしれませんが、一般的な治療を受けながらも、ある時は自分で治す力を高めて頑張るという使い分けも人にとって大事なのではないかと、私は思っています。不安なことの多い世の中だからこそ、BiPSEEの事業を通じて一人ひとりが本来持つ力を後押ししていけたらと思っています。また、その場合には『歯科VRプレパレーション』のように既存の映像を投影できるプレイヤーとしてではなく、その人の気持ちを引き出してあげる自己暗示的なオリジナルの映像コンテンツも制作していきたいですね。

 

——PAAKについてお聞きします。PAAKの良いところは、どんなところだと思いますか?

PAAKの一番良いなと感じているところは、力をくれる場所だということです。スタートアップはみなさんそうだと思うのですが、変動の波も激しいし、気持ちが落ち込んだりすることも多いはずです。そういった時にお尻を叩くような雰囲気のコミュニティーだと、ちょっと息苦しく感じてしまうこともある。でも、PAAKは心から応援してくれてあたたかく見守ってくれる雰囲気があるので、本当にありがたかったですね。また、事業に関する多角的な視点からの意見もたくさんもらうことができて、サービスの改善につなげることができたのも良かったことの一つです。このままで良いのか不安になっている私の背中を、ポンと押してくれた。PAAKは、私にとってそんな存在です。

 

——半年間の中で印象に残っているできごとがありましたら、教えてください。

最後の成果発表会でLINE賞をいただいてその場で講評をいただいたのですが、その時は喜びや高揚感であまりきちんと頭に入ってこなかったんですね。でも、後日審査員の方からしっかりとした講評を文面でいただいて、これは本当にありがたかったです。会員になったばかりの頃には「これって全然ダメだね」というような辛辣な意見をくださった審査員の方もいたんですが、その意見をもとに半年間をかけてピボットしたところ、成果発表会後の講評ではその頑張りを認めてくれて嬉しい意見をくださり、本当の意味でのフィードバックをもらえた気がします。

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